通信回線を知る
日本で古くから通信回線として使われていたのはアナログ回線ですが、技術の進歩によって、通信回線はアナログ回線に装置を設置してデジタル通信を可能にしたISDN、アナログ回線と光ファイバーを併用したADSLとVDSL、ケーブルテレビの同軸ケーブルと光ファイバーを併用する回線、光ファイバーのみを使用する光回線に進化しています。
2015年2月 ( 平成27年 ) には、光回線を広く一般に普及させる目的で、総務省が光コラボレーションを推進し、日本電信電話株式会社 ( 以下 NTT ) が光回線の卸売を開始したため、インターネットを接続する事業者 ( 以下プロバイダー ) のほか、移動通信事業者などが光コラボレーションに参加し、NTT以外の通信事業者が通信回線と自社サービスとを組み合わせて提供することが可能となりました。
本来、インターネットを使ってWebサイトを閲覧したり、データー通信したりするためには、パソコンやスマートフォンなどの情報機器を準備するほか、光回線や電波を扱う通信回線事業者と、プロバイダー、2つの事業者と契約する必要がありますが、光コラボレーションにより契約を1本化している場合、特にプロバイダーの区別はつきにくいかもしれません。
なお、プロバイダーには、NTT、KDDI、ソフトバンクなどの「通信系」のほか、JCOMなどの「ケーブルテレビ系」、富士通、NEC、ソニーなどの「機器メーカー系」、光回線は電気を使用するため東京や大阪、中部などの大きな都市では「地域電力会社系」なども接続サービスを提供しています。
これまで、日本の通信回線がどのように整備されてきたのか、その歴史をまとめてみました。
日本の通信の歴史 固定通信編
日本国内の通信回線は、電話事業として1952年 ( 昭和27年 ) から日本電信電話公社 ( 以下電電公社 ) が電信電話事業を独占し、郵政省が監督するという体制で提供されてきました。
日本が電信電話事業を電電公社の独占体制としたのは主に次の3つの理由がありました。
1. 同じ地域に複数の通信網を敷設すると、膨大な設備投資が必要となり、社会経済的に非効率なため。 ( 自然独占性 )
2. 生活や経済活動に不可欠で、公共事業として品質、料金などに地域差を生じさせないため。 ( 通信事業の公共性 )
3. 複数の技術仕様の機器を接続した場合、その提供する価値を維持するための費用がかかるため。 ( 技術的統一性 )
なお、日本と海外の国際電気通信と国際電話は、1953年 ( 昭和28年 ) に電電公社から分離独立して設立された国際電信電話株式会社 ( 以下KDD ) が独占で取り扱っていました。
それから約25年後の1978年 ( 昭和53年 ) には、日本国内の電話設備拡充の目標は達成され、その間にテレビ番組や中継の送受信に使われていた電波 ( マイクロ波 ) や光ファイバー、通信衛星などの新技術が登場します。
量的に充足された電話通信網に対して移動通信やデーター通信などの新たな使用目的の出現によって、1982年 ( 昭和57年 ) に公衆電気通信法が廃止され、1985年 ( 昭和60年 ) の電気通信事業法 ( 以下事業法 ) の施行により、電電公社の民営化が決定、日本電信電話株式会社 ( NTT ) が誕生します。
この通信の自由化により、マイクロ波で通信網を構築する長距離系の第二電電株式会社 ( 以下DDI ) 、高速道路の中央分離帯に光ファイバーを構築する日本高速通信株式会社 ( TWJ ) 、鉄道路線に沿った光ファイバーを構築する日本テレコム株式会社、地域通信には東京、大阪、中部などの電力会社を母体とする電力系会社の新規参入が相次ぎます。
日本高速通信株式会社は1998年 ( 平成10年 ) に国際通信系のKDDと合併、2000年 ( 平成12年 ) にはDDIと合併・統合してKDDIとなり、2006年 ( 平成18年 ) より電力会社を母体とする地域系通信会社やケーブルテレビ会社との合併や業務提携をしています。
日本テレコム株式会社は、1984年 ( 昭和59年 ) に日本国有鉄道の関連会社として設立された会社で、2004年 ( 平成16年 ) にソフトバンク株式会社が買収しました。
日本の通信の歴史 移動通信編
移動通信は1979年 ( 昭和54年 ) に電電公社が、自動車電話の提供を開始、当初は自動車内で利用することを想定して、高速道路沿いに通信網が整備されましたが、その後、通話可能な地域の拡大と持ち運びに便利な端末の小型化が進みます。
移動電話はしばらく電電公社 ( 民営化後はNTT ) 1社で提供していましたが、1987年 ( 昭和62年 ) に日本高速通信株式会社 ( トヨタ自動車出資 ) が設立した日本移動通信株式会社 ( auの前身、東京・中部電力出資 ) が1988年 ( 昭和63年 ) に関東・中部地方に参入、DDIのセルラーグループ ( 京セラ出資 ) は1989年 ( 昭和64年平成元年 ) から1992年 ( 平成4年 ) までの間に関西や九州、北海道など日本国内で段階的に展開するなど、地域的なすみ分けがありました。
1992年 ( 平成4年 ) 、NTTが移動通信業務を分離し、エヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社 ( 現NTTドコモ ) が営業を開始します。
1991年 ( 平成3年 ) 、日本テレコム株式会社が設立したデジタルホン ( JR東日本出資 ) と1994年 ( 平成6年 ) に設立したデジタルツーカー ( 日産自動車出資 ) を1997年 ( 平成9年 ) にJ-PHONEへ共通ブランド化しましたが、2001年 ( 平成13年 ) にイギリスのボーダフォンが J-PHONEを買収、2006年 ( 平成18年 ) にソフトバンクがボーダフォンを買収しています。
2000年 ( 平成12年 ) 、日本移動通信株式会社が、DDIセルラーグループと合併、株式会社エーユーに商号を変更後、2001年 ( 平成13年 ) にKDDIの子会社となります。
楽天コミュニケーションズ株式会社は、多くのオンラインショップがひとつの電子商取引サイト ( ECサイト ) が集まって出店・出品するECモールを起源とする楽天グループが、2007年 ( 平成19年 ) に東京電力が保有するフュージョンコミュニケーション株式会社の株式を取得して、2015年 ( 平成27年)に商号変更された会社で、2019年 ( 平成31年 ) に楽天コミュニケーションズの株式は楽天モバイル株式会社に継承されています。
通信の役割
通信は、まず国際と日本国内に分かれ、日本国内では東日本と西日本、長距離と地域、建物の外と中に分かれます。
そして、通話をする時や、パソコンやスマートフォンなどからデーター通信をする時、光回線やLANケーブル ( 有線 ) 、電波 ( 無線 ) を使います。
有線の場合、通信する場所まで配線が必要になりますが、無線と比較した場合、比較的安定した速度で通信が行えるほか、セキュリティ面に優れています。ただし、停電になった場合、非常用発電機や無停電装置を設置するなどの対策をしていなければ、通信ができなくなります。
一方、無線の場合は配線が不要なため、通信する場所を固定することがなく、また、バッテリー充電が可能な機器は停電になった場合でもしばらくの間は使用可能です。ただし、有線と比較した場合、通話や通信の安定性、盗聴や情報漏えいなどのセキュリティ面については注意が必要です。
ここで、2021年10月29日 ( 令和3年 ) 北海道建設新聞の記事を一部抜粋、編集し紹介したいと思います。
それから、2022年1月26日 ( 令和4年 ) の読売新聞 社説を編集して紹介したいと思います。
通信事業者各社が共同建設すると発表した光海底ケーブルは、北海道石狩市沿岸部と秋田県を結ぶ、日本海ルートで計画が進められています。
なお、石狩市には、2011年11月 ( 平成23年 ) から、さくらインターネット株式会社 ( 本社 大阪府 ) が運営するデーターセンターがあり、北海道内外に情報技術のインフラを提供しています。
また、2021年4月 ( 令和3年 ) にコストコ石狩倉庫店の開店により用途地域変更緩和が検討され、現在、石狩湾新港地域には株式会社ニトリ ( 本社 北海道 ) と 株式会社ヨドバシカメラ ( 本社 東京都 ) がインターネット通信販売に対応する大型物流センター施設の計画を進めています。
話は逸れますが、日本の安土桃山時代 ( 1573~1600年 ) 、日本の戦国大名 織田信長は、商品の流通を活発にすることで経済を中心とした街づくりをしようと「楽市楽座」という経済政策を行いました。
「楽市楽座」は、領主 ( 貴族や寺社 ) の保護の下、市場で特定の商品の販売座席を独占していた「座」の特権を廃し、新規の商人にも自由な営業を認めた法令 ( 楽市令 ) のことで、信長は、この「楽市楽座」のため、水運と陸運の両方で各地から物を集められるよう、美濃国加納 ( 岐阜県岐阜市 ) 長良川水運を利用した流通を重視したほか、広くてまっすぐな街道 ( 道路 ) を整備して人の流れをつくり、町人が自由な商売ができるよう経済の活性化を図りました。
戦国時代は敵に攻め込まれないよう、道は細く曲がりくねり、川には橋をかけないなど、整備しないことが常識のはずですが、信長は城下町を発展させるために人と物が集まることに力を入れ、街道の要所に設置していた検問のための関所も廃止し、自分の領地を豊かにすることで、税金を納めてもらう工夫をしました。
ここで忘れてはいけないのが「楽市楽座」の短所です。行き来しやすいということは、敵に攻め込まれる可能性が高くなるほか、商売の自由化によって知識を持たずに新規参入する商人が現れ、「座」の変わりに商人に商品を卸す問屋の発言力が増し、領主に変わって「市」を支配するものが出てきたことです。
「楽市楽座」のために整えられた道路や水路を、社会全体の通信インフラとなった光回線や電波に、関所をプロバイダーや、一般道と高速道路を接続するインターチェンジに、関所を守る番人をルーターやサーバーなどの装置に置き換えると、歴史上のできごとから通信に関する理解を深めることもできそうです。
「歴史は繰り返す」と言いますが、通信事業者各社による光海底ケーブルの共同建設は、過去に社会経済的に効率がよいという理由で、郵政省監督のもと電電公社が電信電話を独占して敷設していた頃に戻っているかのようです。
「道路」は人と地域をつなぎ、人や物を運び、まちの骨格や環境、景観を形成し、広い道路は災害からまちを守る役割があります。
そして、1985年 ( 昭和60年 ) の通信自由化以降、競争原理によって、通話料の低価格化、通信事業の活性化、通信の高度化に対応した多様なサービスの提供がされてきましたが、生活や経済活動に不可欠な公共性を持つ通信は、それを維持するための技術的な統一も望まれます。
国連は、2015年9月 ( 平成27年 ) に、世界的に持続可能な開発目標 SDGs ( Sustainable Development Goals ) を示し、外務省はその中のひとつに「産業と技術革新の基盤を作ろう」という目標を掲げ、2021年9月 ( 令和3年 ) には、日本の行政機関、デジタル庁を設置しました。
長い年月をかけて形づくられたものを見直そうとする時、短期の目線で正解を求めるのではなく、長期の目線で考え、課題解決の手がかりを過去の出来事から少しずつ探してみる、というのも解決方法のひとつになるのでは、と考えます。